今は、「障がいを持つ前の22歳」に戻りたいとは思いません。もし私の人生がリセットできたなら、
きっと心は成長しなかったでしょう。
自分自身をよくわかっていない時は、何でも他が良く見えました。
本当は、自分に今あるものを自然体で伸ばしていければ、必要なものは得られるものです。
私らしさがわかってきた今、いらないもの、譲れないものの判断がつくようになりました。
25年前、未だバリアフリーという言葉もなかった頃に、初めて講演に呼ばれました。
雪道で途方にくれたり、乗り合わせた電車が事故で遅延したり、色々なことに遭遇しましたが、
車椅子で、独りで乗り切る方法を身につけました。
人からの視線にも慣れていきました。
「こんなに遠くまで行って、仕事をして帰って来られた」という喜びと自信をもらいました。
それは多くの人の思いやりが無くては実現しなかったこと。
KIRAKUが始まった15年前には、私が障がい者となって10年が経過していました。
その頃は、ひたすら前だけを見て走っていました。
まるで振り返ることを恐れるかのように。
体の自由、職業…無くしたものを取り戻すかのように。
むしろ以前より もっと多くを得なければ、自分が無くしたものの対価に値しない気さえしていました。
人は自分に何の落ち度がなくても苦しい場面に立たされることがあります。
反対に、それほど努力をしていないのに、幸運な出来事が訪れてくることもあります。
でも意味を考える必要はありません。
今できる最善を尽くすか、
心から感謝するか、ただそれだけで良いのです。
1962年、大阪に生まれる。「’82ミスインターナショナル準日本代表」などの栄冠に輝き、モデルやTVのアシスタントとして活躍。1984年 8月に交通事故で頸椎を骨折し、下半身にハンディを負うが身障者の国体にて2種目大会新記録で優勝。車椅子陸上競技世界大会では金メダルを獲得。1986年6月、鈴木伸行氏と結婚。良き理解者でもある夫、伸行氏との関わりは介護者と被介護者の理想的スタイルの1つとも言える。執筆や講演、TV出演と、ハンディをものともせず生き生きと活躍する彼女に様々な人々がエールを送っている。