1962年大阪生まれ。「’82ミスインターナショナル準日本代表」の栄冠に輝き、モデルとして活躍。1984年に交通事故で頸椎を損傷し車いす生活となる。車椅子陸上競技世界大会では金メダルを獲得。2004年アテネパラリンピック射撃日本代表。2016年車いすカーリング日本選手権準優勝。著書『命をくれたキス・・「車椅子の花嫁」愛と自立の16年』は「車椅子の花嫁」と題してドラマ化された。
障害者は「受ける立場」だけではなく、逆に「社会に還元できることも有るはず」と、執筆や講演、NHK障害福祉賞審査員などを務め、射撃のコーチとして後進の指導にも取り組む。ハンディをものともせず生き生きと活躍する彼女に様々な人々がエールを送っている。
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30年前と比べ、今では驚くほどバリアフリーが進みました。その頃30代だった私は体力があったにも関わらず、毎回「決意」が必要なほど車いすでの外出は困難なものでした。それが今や誰もが使えるUDトイレも増え、たいていの駅にはエレベーターがあります。最近では、電車に乗り込むドアとホームの隙間を狭くして段差も低くするような企業努力のおかげもあって、介助なしでも車いす単独で乗り降りができるまでになりました。自分独りで目的地まで辿り着けると気分が上がります。小さな段差の解消でも、車いすユーザーには大きな一歩なのです。
皆さまは何を一番に獲得したいですか? 私は「晴れやかな気持ち」です。
前述したような小さな達成感でも晴れやかな気持ちになります。人は大人になるにつれて新しい発見が少なくなると言いますが、障害者にとっては、世の中がバリアフリーになるとその度に出来ることが増えていきます。それが一般の人より多くの発見に繋がり、喜びもいっぱい持てるとも言えます。
生きていれば、いつも前向きに元気で、とはいきません。そんなに強くもなく、気持ちの浮き沈みも有ります。自分ごとで言えば、障害を持って年を重ねることの肉体的なキツさは、2乗3乗の加速度的に増えます。正直に申し上げて、心身ともに「いつも重い荷物を背負っているような感覚」は否めません。その反面、今、この時代に自分が存在することもまた不思議だな、そして、幸運だな、と感じます。だって、泣こうが笑おうが、今、自分は、この世に存在するのですよ。ならば、この置かれた場所で、思いっきり生(せい)をもがくのもいいかな、と思います。どうせ「100年経ったら、みんな骨」ですから、人の目を気にせずに弾けてみたい、と自分を奮起させながら年を重ねています。
しわもシミも嬉しくはないですが、生きた年輪が現れるのもいいものです。